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January 20, 2005

No War

大一次第二次世界大戦、ベトナム、朝鮮、湾岸、イラク。そのほか、内乱や紛争を含めれば20世紀だけでも、数え切れない戦争を人類の一部は経験してきました。

なんだかんだいって戦争はなくならないんだろうなと思います。いわゆる戦争といった大規模なものはなくなるかもしれないけど、人の争いは免れない。根本的な戦争は、人が生き物であり自然の摂理の循環内にある限りなくならないと思います。

だってそうでしょ。人は人として生きる、ただそれだけで他の動物の生きる権利を奪い取る。奪わなければ自分の命が朽ちるわけですから。いわんや人が幸福を得るために他人の幸福を奪わないはずがない。奪わないまでも、自分が幸福である時、同時にそれが故に不幸な人がいるのは,自明な事だと言っても過言ではないと思います。

“NO WAR”なんてまやかしのような気がします。地に浮く蜃気楼。実体のない幻想に過ぎない。

“NO WAR”は戦争が無くなるようにだとか、世界が平和になりますようにとか願って掲げる言葉じゃない。今いる自分が、今このとき戦場で死んだかもしれない兵士の命の上に成り立っている、そういったことに対する感謝と謙虚の気持ちなのだと思います。

世界が平和になりますように?そんな傲慢な願いは自分の心の内にしまっておきなさい。僕は、たったいま食った肉がどんなふうに皮を剥がれ肉を裂かれたか、その現実を知らない。そんな些細なことと同じようにまた、僕は戦争の現実も何も知らないのです。生まれてこのかた平和をむさぼり続けてきた僕には、そんな願いは恥ずかしくて口には出せません。

自分が生きているのは、他の生命をむさぼるから、自分がしあわせなのは、他の幸福をむさぼるから。

これは葛藤です。だって何が正しいとかないから。すべての人の主張が正しいから。みんな誰だって自分が幸せになりたいのは、ごく自然の正当な主張だから。だからこそ謙虚の気持ちが必要なのだと思います。他の幸福をむさぼるのは人の業。でも、我を忘れて無意識に幸福を貪り尽くすようなことがせめてでもなくなれば、少しは悲しみもやわらぐのではないでしょうか。だからこそ僕は掲げます。

NO WAR

January 20, 2005 | Diary

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