Entry

February 7, 2005

五作目にみるドラクエ論

ドラクエV のリメイクは、どう贔屓目に見ても芳しいとは言えません。

ここ数日、ドラクエV をプレイしていましたので、ちょっとばかり感想を。まず、全体的な総評については、ストーリー序盤こそ良いものの、進めて行くうちに正直リメイクとしては芳しくないなぁという感想に行きつきました。

と言うのも、巷でもちらほらしているように AI が恐ろしく馬鹿です。永遠に、スクルトを唱え続けたり、瞑想を無駄に連発したり、妖精の剣などの特殊効果のついた武具は AI にはうかつに装備させられません。本当に馬鹿。スクエニが馬鹿。リメイクなのに劣化させてどうするんだよ。

さらにもうひとつ。画面の切り替えに異常に時間のかかる場所があるということ。特にエルヘブンとジャハンナ。ジャハンナなどは重要な拠点なのにもかかわらず切り替えの暗転場面が長すぎます。おまけにこの暗転時にフリーズしたりしますからね。こうなってしまうと、もう興ざめも甚だしいです。

ドラクエVなんて、極論を言ってしまえば完全移植するだけでも、記録が消えないというメリットがあり、価値があるのだと僕には思えます。なのに、やれ 3D だのなんのってその結果フリーズ。馬鹿も休み休み言え。ドラクエVの 3D を見てみて思うけど、あれって価値があるんでしょうか。SFC 時代のドット絵を、あのような 3D にしたからってドラクエVが面白くなるんですか。

RPG というジャンルが昔からヒットしてきた理由のひとつとして、ハードに高スペックを要求しないというところがひとつあったと思います。今では、高いスペックを持つハードでなければ成り立たないゲームやジャンルがあります。もちろん、高スペックになるに連れてシリーズを通して素晴らしい進化を遂げた物も有るでしょう。

でも、ドラクエは低スペックであった当時に、ある意味で完成していたと思うのです。だから、いまさら高スペックの恩恵を付け足しても、もはやドラクエには受け付ける余地がないのです。

ドラクエはそもそも他の RPG と比べて保守的なイメージで語られてきました。でも、保守的に見えるのはシナリオや楽曲、そしてシステムの移り変わりだけではないような気がします。それは、もっとドラクエの見えない内在的な部分に、完璧故に排他的な影響があるからだと思います。例えて言うならば、プログラムの行間にドラクエの真髄があるというか…。

付け足すことに、否定的なわけではありません。付け足すことによってプラスにならずとも、少なくとも時代に合ったクオリティを維持できるなら、それは素晴らしいことでしょう。でも、付け足して劣化させては話になりません。

ドラクエはもはや二極化するしかないように見えます。ひとつは、今までのイメージ的な伝統を踏襲するクラシカルなドラクエ。もうひとつは、その足枷のような伝統から脱却した、ある意味で新作なドラクエ。中途半端な物はもはや評価されないでしょう。

そういう意味では V のリメイクは中途半端と感じざるを得ず、逆に最新作である VII では新たな局面を見せてくれました。VII の評価がおおむね高いところを見ると、二極化もまんざらではないように思えます。僕はまだプレイしていないので、なんとも言いきれませんが…。

最後にもう一言。なんだかんだ言ってますが、リメイクされたドラクエVがつまらなかったわけではありません。クオリティの上がった音楽は感動的でしたし、結婚イベントに悶え、子供の命名に悩み、パパスの絶命シーンには感極まりました。でも、リメイクの仕方が短絡的だと僕は言わざるを得ません。シリーズ最高のシナリオと評価が高い5作目だけに、とてももったいなく思いました。

まぁ、要はそう言うことです。

February 7, 2005 | Diary

track back

URL:(http://www.vagrantmuse.com/mt/mt-tb.cgi/26)

comment

post a comment

cookie:

« セックスってなんだろう | 俺との約束を忘れたか! »

sub menu

calender

February 2005
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28          

latest entry