最近僕が何かと心がけている言葉の一つに「中庸」があります。
中庸とはその名のとおり中庸の徳のことで、洋の東西にかかわらず人間の徳目のひとつに数えられ、つまりは考えや行動が偏らずに中正であることを意味します。もちろん人間ですから、完全なる中正というのは不可能なのですが、それを心がけているかいないかの違いは、大きいものだと思っています。
人は、多くの場合、何事も白黒つけたがります。ともすると、あたかも白と黒しか存在しないかのように物事を見つめる人がいます。しかし、物事は白と黒ではなく、ほとんどの場合あいまいな灰色です。少なくとも僕にはそう見えます。どちらかといえば黒に近い灰色。どちらかといえば白に近い灰色。違いがあったとしてよく見てみればその程度の違いしかないことが得てしてあります。これは世界のあらゆる物や概念に当てはまると思います。
最近、勝ち組だとか負け組みだとかいう考え方が、流行のように飛び交っています。しかし、そんな勝ち組や負け組みといった白黒も、結局は灰色の域を出ないものではないでしょうか。人生の長い間に黒星のつかなかった人間は恐らくいないでしょう。そういった意味では人間はみな灰色です。しかも肉眼ではあまり気がつかないほどの灰色であるか、もしくは人によっては黒っぽく見えたり、白っぽく見えたり、非常に曖昧です。
あなたは負け組みです。そういわれて素直に納得できる人はいるでしょうか。たぶんいないと思います。同時に自分は勝ち組だと信じてやまない人であっても、もしかしたら忘れ去りたい過去をただひたすら隠しているだけなのかもしれない。
何が言いたいかというと、要は勝ち組だとか負け組みだとか言う二極論を意識し、あるいはそれに左右される人が、もしかしたら結構多いのではないかということです。人生のあらゆる局面は刻々と勝負の連続ですから、勝った負けたの評価は当然ですが、それに付随した感情論に縛られ、また無意識のうちにその安易な感情論に走るのは、いささか軽率ではないかなということなのです。
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