April 5, 2006
ブロガー心得
自分のためだけのブログなら、公開する必要はないじゃないかと思われるかもしれません。たしかに、公開するかしないかの違いはとても大きいものです。ですが、ここはどうか公開させてください。もし、公開していなければきっと三日坊主になってしまっていたから。
もちろん、公開するならばせめて恥ずかしくない言葉を使いたい。しかし、自分の文章が面白いか面白くないかは僕にはあまり興味がありません。
ですから、扉は来訪者の為に開いていますが、扉の前で来訪者を招き入れるようなことはしません。このブログが面白くなくても、どうか怒らないでください。それは僕の問題ではなく、つまらない情報ばかりを pull しているあなたの問題なのですから。
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April 5, 2006
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March 24, 2006
ブログの理由
僕がブログをやっている理由は誰のためでもなく、ほかならぬ自分のためであります。
これは僕の共感的感想なのですが、インターネットをしていると、時々つまらないブログを書いているサイトを発見することがあります。しかし、どんなにつまらなく、情報としても価値がないものだったとしても、この日記が5年間といった長期に渡って書き溜められていたりすると、それがとても輝いて価値あるものに見えるのです。
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March 24, 2006
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March 14, 2006
言葉と経験
言葉は経験の上に成り立っていると僕は思います。そして、言葉はアウトプットできますが、経験はアウトプットできないことを意識しなければなりません。
つまり、この文章は僕の経験を土台にした言葉で成り立っていますが、読む人の経験は僕の経験とはもちろん違う訳ですから、すっかりその土台が入れ替わっているわけです。したがって、ともするとその言葉の意味が全く違うものに捕らえられている可能性があります。
どうしても受け入れることのできない他人の価値観、というものはやはりいつになってもあるものです。一時はそういったひとつの価値観についていろいろ考えをめぐらし、悶々とした時期もありました。いっそのこと、その価値観を真っ向から論破してやろうかと思ったこともあります。また、そう思うだけの正当性もあったのです。
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March 14, 2006
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January 25, 2006
勝ち組と負け組
最近僕が何かと心がけている言葉の一つに「中庸」があります。
中庸とはその名のとおり中庸の徳のことで、洋の東西にかかわらず人間の徳目のひとつに数えられ、つまりは考えや行動が偏らずに中正であることを意味します。もちろん人間ですから、完全なる中正というのは不可能なのですが、それを心がけているかいないかの違いは、大きいものだと思っています。
人は、多くの場合、何事も白黒つけたがります。ともすると、あたかも白と黒しか存在しないかのように物事を見つめる人がいます。しかし、物事は白と黒ではなく、ほとんどの場合あいまいな灰色です。少なくとも僕にはそう見えます。どちらかといえば黒に近い灰色。どちらかといえば白に近い灰色。違いがあったとしてよく見てみればその程度の違いしかないことが得てしてあります。これは世界のあらゆる物や概念に当てはまると思います。
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January 25, 2006
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August 2, 2005
アウトプットコンプレックス
とある男性が運営するテキストサイトがありました。そのサイトは特別な雰囲気を持っていて、僕は何故か惹きつけられ毎日のように訪れました。ですが、そのサイトで感じた多くの感情は、楽しみやリラックス等とはかけ離れた感情で、反感や嫉妬といった、およそ負の感情が多くを占めていたのです。文章からにじみ出る思想への相容れない反感、自分とは違う生き方に対する嫉妬。しかし僕はついにそのサイトから離れることが出来なかったのです。僕を憂鬱にさせるにもかかわらず、しかし僕を惹きつけるものはなんなのでしょうか?
―――それはただひとつ。自由奔放な表現だったのです。周りを恐れず自ら傷つくことを厭わず、ありのままの自分を最大限表現するということ。彼の思想が僕の嫉妬を買ったのではない。彼の生き方に僕が嫉妬したわけでもない。彼が臆することなく表現している(ように見える)ことに僕は嫉妬していたのです。そこに僕との歴然としたギャップが横たわり、その距離が僕を惹きつけその高みが僕を憂鬱にしたのでした。
August 2, 2005
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June 27, 2005
愛すべき不便利
人は常に便利であることを追及している。それはおそらく有史以来から続く営みであり、産業革命というビッグバン以後めざましい便利が世界に溢れた。例えば人間の労働が人間によって作られた機械が行うようになったことはとても大きな要素の一つだろう。また何気なく使うようになったインターネットは何処へ出かけることもなくコミュニケーションを実現させ、情報の獲得を容易にし、財やサービスの売買も可能にした。
だが不思議なことに人というのは時々思い出したように不便利さを愛でるとことがある。これは大きな潮流に逆らう強引な自己主張でもなければ葛藤でもない。なぜなら、そういった不便利さを愛でるとき、我々は時に無意識であり、もし意識していたとしても誰に言うことも無く完結するからである。そして重要なのはその不便利さを改善しようとは思わず、継続してその不便利さを経験するところである。
おそらく、不便を億劫に感じ取り利便を追求する一方で、不便を追及するのもまた人間の正直な心のあり方なのだろう。
June 27, 2005
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